【映画】「鬼滅の刃 上弦集結、そして刀鍛冶の里へ」(2023/2)*ネタバレ注意

先日、「鬼滅の刃 遊郭編」の話になり、
「子どもに遊郭の話とかアニメとはいえ映像で見せていいんだろうか」
という話が出たので、どんなもんかとテレビ版の「遊郭編」を一気見しました。

おまけつきでしたよ。「上弦集結本」

2月だからか、節分カードも。

一気見すると、この続きが見たいから、映画も見るか、と、そういう流れです。

前回もこれだけ話題になってるからちょっとだけ見てみるか、と思ったら
テレビ版立志編を一気見してしまい、映画の無限列車編を見ています。

なので、ここまでくるともう毎回全部見ますね。
刀鍛冶の里編も、全部終わったころにアマプラで一気見するでしょう。

しかし、映画は、これまでのダイジェストに遊郭編の第10話と11話、
それと刀鍛冶の里編の第1話。だったのです。

ちゃんと画面に「第〇話」って出ましたからね。
前回の「無限列車編」みたいに一応話が完結するのかと思ったら
「第1話」と出ました。

正直こういうやり方はどうでしょうね。ちょっと納得がいかない。
これでまた第1話からテレビでやるんでしょ? ずるくないですか?

確かに上弦集結のシーンはありましたけど、とりあえず紹介されただけって感じでした。

まあそれでもきっと見てしまうんですけどね。

 

疑問だった「子どもに遊郭なんか見せていいのか」については、
別にこれ、「遊郭」って言ってもいいけど、吉原という必要はなくない?
というのと、遊郭がどんなところかは、知らない人にはまったくわからないだろうなという結論です。
だから子どもも別に何とも思わないかも。せいぜい、キャバクラぐらいの感覚?かなと。

あと毎回この手のことで言うけれど、吉原で津軽三味線はないから。
画面上正しく撥を持っていたのはいいけれど、それっぽく弾いても、その音は津軽三味線だから。
ちゃんともっと江戸(東京)の三味線にしてくださいよホント。津軽三味線って青森よ。わかってるのかなあ~。

三味線と一口に言いますが、ジャンルで楽器の拵えが違うんですよ。
楽器そのものも、撥も、駒も、胴かけとか、糸とかそういう小物に至るまでみんな違うのです。

あと時代考証ね。大正時代って謳っちゃってるから、大正時代の吉原を調べてもらいたかったなあ。
あんな派手な吉原は文化文政のころでしょう。大門もあんなんじゃないはずだし。
「吉原」って言わなければボロも出ないし、架空の遊郭ということでアニメだから済ませられるのに。

でも次作もきっと見ます。

ストーリーは悪くないんだよね。途中に挟まる、笑いを取る場面は不要だと思うけれど。
それぞれの鬼のエピソードも、とてもよく描かれていて、いいアニメだと思ってます。